yuco:
ひと世代前の環境に最適化した企業は、新しい環境が現れるとまっさきに滅びる。活字文化云々の議論は本質的にはそういうことであり、そしてそれだけの話である。書籍が紙かデジタルかという話ではない。
http://twitter.com/hazuma/status/5552678188
たとえばTwitterがいまもりあがっている。ではそのもりあがりをどうアウトプットにするか。関連本を作るか雑誌で特集をするか。それしかできないのが「出版社」という枠組みだ。いろいろ仕掛けてもアウトプットの選択肢がとても小さいのだ。これは小さいながらゼロアカで感じたことでもある。
http://twitter.com/hazuma/status/5552733787
publishは「なにかをpublicにする」という意味だ。かつてマスメディアは紙しかなかったから、publisherは紙の出版社となった。しかし原点に返るべきではないか。マイナーなものをいかにパブリックな領域に引き入れるか、その役割を現在の技術的環境でいかに果たすか。
http://twitter.com/hazuma/status/5552810739
ちなみにpublicの語源。http://bit.ly/3xi6Wo
http://twitter.com/hazuma/status/5552813205
文学者や編集者には、活字文化の衰退とか出版不況とかいうまえに、とりあえずクリステンセンの『イノベーションのジレンマ』ぐらいは読んでいてもらいたいものである。
http://twitter.com/hazuma/status/5552831172
テレビで取り上げられると本が売れるとか、賞レースがどうとか、まじで真剣に心の底からどうでもよい。重要なのは、そのメディア(雑誌なり出版社なり番組なり)が、新しく不可視でマイナーなものを可視化(公共化)する気概と戦略をもてているかどうかだ。公共性はその気概に宿る。
http://twitter.com/hazuma/status/5552882437
(via fauxchenaux)
先日の座談会がニュースサイトに幾つかあがってるので、昨日のメモをあげてみよう。
読売新聞[http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kyoto/news/20091108-OYT8T00129.htm]
京都新聞[http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009110700146&genre=M1&area=K00]
毎日新聞[http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20091108ddlk26040328000c.html]
(毎日は何故「勉強」を「働いて」にしてるんだろう?)
藤倉大(F)「作曲をするという行為についてまず聞きたい」
Pierre Boulez(B)「非常に多くの側面がある。作品ごとに異なり一つとして同じものがない。楽器編成、音、テーマなど。音の例としては『エクラ』、まず音へのインスピレーションがあり、共鳴楽器と音の長短から始めた」
「次に楽器編成を決め、これらの音響を各楽器の共鳴の長短(ピアノを1とするとヴィブラフォンはその半分など)の検証で発展させた。またすべての楽器を同時に短く演奏すると共鳴が聞き取れない状況を曲に取り込んだ。この場合リズムの要素はあまり重要ではなかった」
「そして指揮者と演奏者の関係を自由にし、演奏する楽器の順序を指定することで、いわゆる『管理された偶然』を導入した。これで重要な要素以外は排除しつつ、自由に発展する、空気のように漂うような作品ができあがった」
「『・・・エクスプロザント=フィクス・・・』では音色へのインスピレーションがあった。エピソードA(音色)の次にB(音の種類)、C、A2(Aの繰り返し)、D・・・と、演奏による人間の意図的な反応を排除するため予測させない順序を取り入れた。これは絵画でいう『モザイク』の作法に因る」
F「スケッチを書いたりするのか」
B「曲によりけり。私の手の内にある要素については直ちに書く。そうでない場合、しばしば作曲から全く違う方法から入り、解決が見つかることがある。文学や絵画(展覧会)など。これらを作曲というコンテクストに落とす」
「ポール・クレーの絵画クラスで学んだ時、とにかく練習しろといわれ、円と線というシンプルな概念から創作したが、思いがけない発展性に気づかされた。一見作曲と関係ないところから勉強をしてみることが大事」
F「ピッチ、リズムといった要素はスケッチに書くのか」
B「曲によりけり。ぼやけたポイントから発展させることも。『デリーヴⅡ』はリゲティの晩年の作品を参照した。アフリカ音楽の持つ単純で効率的な周期性が面白いと感じ、だが必ずしもリズムを考慮しない状態で、あくまデータとして発展させた」
F「一度作った作品を長くすることがあるが、冒頭には作曲されない。曲の終わりについてはヴィジョンがない、ということなのか」
B「特には。『レポン』については終わり方は決めていた。スパイラル(螺旋)というアイデアを考えてみれば、長さにかかわらずどこで切っても線として完結し終わる」
F「作品を短くしたりすることはあるのか」
B「NO。リバイブするときは必ず長くなる。リッチにする方向に作曲する。『シュル・アンシーズ』は最初は5分の作品だったが、最終的に45分になった」
F「で、まだ終わっていない」
B「この曲はそうかもね」
F「どのような音楽の影響を受けてきたのか」
B「西欧以外の文化に興味がある。東洋の文化には往々にして西欧に失われた豊かさがある。日本・中国・チベットの儀礼や祭典の音楽は魅力的で興味深い。バリやアフリカは常に文化と音が一体になっている印象がある」
「それらは私の場合、バリ、ガムランの金属系打楽器の特徴的な音調をヴィブラフォンとして、アフリカの木製打楽器をマリンバとして、そのまま取り込むのではなく、分解・分析し、構造・要素に還元して取り込む」
「子どもの頃はもちろん自国の文化やベートーヴェンなどの古典にも触れたが、まずドビュッシーの『アラベスク』、そのモダニティに感銘した。その後シェーンベルクに一時傾倒したがりズムが弱いと思いストラヴィンスキーへ。ただ今度はポリフォニーが弱いと思いシェーンベルクに戻ったり」
F「作曲家について、ドビュッシーやストラヴィンスキーのどの作品に影響を受けたか、会場から質問を預かっている」
B「ストラヴィンスキーは当然『春の祭典』。管弦楽の傑作だが、繰り返し・テーマが限られ、それらをより豊かにしたのが『結婚』。いわゆる新古典に分類するものは好きではない。彼の気質を表してない。フランスのインテリからの着想は彼にとってマイナスだったのではないか」
「ドビュッシーは初期は強みを持っていたが徐々に弱くなっていた。これはメシアンと議論したときも同じ意見だった。傑作は『練習曲集』、ショパンの技術を使い、限られた材料を発展させて音楽の新しい発明をした量は画期的。他に『遊戯』『フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ』未完のソナタ」
F「他の作曲家の影響を取り去ることはするのか」
B「必ずしもしない、むしろ歓迎。そのままではなく、テーマ・解決法を取り入れる。『練習曲』を分析したとき、12音技法とオクターブが重要であると気づき、その要素を作曲に取り入れた。わざわざ私が言わなければ誰の影響か聴衆は分からない」
京都市立芸術大学(クラリネット専攻)「氏の作品にはシンメトリー・完璧さがうかがえるが、西欧的「神」やデジタル的思想ではない、東欧的概念(例えば、月は満月そのものではなく、雲のかかる月こそが美しい、と思う日本人の感性)についてどう思うか」
B「完璧さを求めているわけではない。何度もやり直す。理想などをゴールにする。満月はある意味退屈である。雲のかかる月(その関連性)も重要だ。『エクラ』での短い演奏で共鳴が認識できないというアイデアは、むしろ完璧さの破壊を志向している」
大阪音楽大学(作曲専攻)「バイロイト音楽祭やベルク『ルル』の初演などオペラの貢献も大きいが、声楽を用いた作品(『ルー・マルトー・サン・メートル』など)は多いのに演劇性のある作品はない。そのようなアイデアはあるのか」
B「かつてしようと思ったことがある。だが具体化する機会がなかった。アクターズ・カンパニーに関わる機会(純粋に演劇の付随)で、その制作過程に興味を持った」
「共作しようとした作家がガンで亡くなり、バレンボイムの紹介でハイナー・ミュラーも同じくガンで亡くなった。どうもそういうジンクスが(会場笑) 劇場の形態は変えられない。実験をするには形態を変える必要。音響的な問題が一番大きい。むしろやりたくないという状況、いつまでこのままかな(笑)」
「西欧の伝統からして、演劇は新しいことをやっていない 能、文楽は面白い。演劇と音楽との関係が、西欧にない方向性を提示している。仮面・影絵など 真似ではなく提示方法を採用しようとしたことがある」
弁護士「著書や発言の普遍性を尊敬している。経験則から人生の助言を」
B「NOと言うな。自分とは異なる考え・行動に対しオープンに接すること。好奇心を持て。過激な発言で物議を醸したが、守りに入ると駄目になる。ルツェルン・アカデミーで新しい楽譜を開き、新しい才能に会うのを楽しみにしている。それを止めるとすぐお墓行きのつもりだ」
京都市立芸術大学(作曲専攻)「声と楽器の親和性について。人の声はかなり多様だが、どのような位置づけで作曲するのか。また声楽と器楽の関係についてどう考えているのか」
B「両方の状況がある。声が楽器に吸収されたりその逆もある。テキストが意味を成すように作曲する時とそうでないと時と。ソノリティだけを提示したりする場合もある」
F「今後の音楽の方向性について。若い人たちへのメッセージ」
B「ずばり、わからない(会場笑)。50年前に同じ質問に対しては野心的に答えただろうが、一つの方向性という感覚を失った。木のような形を考える。枝が分かれ葉が成る多様性を持つ木を。作曲家になりたいのなら、勉強しなさい、勉強しなさい、勉強しなさい」
F「京都賞の理念に共感しての今回の受賞なのか」
B「もちろん、そのために来日した。受賞に際し財団から地元の人たちと交流するようにと申し込まれたが、そのような姿勢に感銘を受けた。一つのコミュニティにとけ込むという機会は興味深く、楽しみにしている」
-2009.11.7(Sat) @Kyoto
ラトル 「我々は、ポスト・ロマン派の発展をごく普通の芸術的プロセスと理解しています。同時にイギリスでは、ロマン派こそが皮肉な状況と結びついているのです。というのはロマン派は、まさに産業革命がすべてを破壊した時期に起こったからです。こう言ってよければ、我々がヨーロッパで最初に起こしたのは、産業革命だけでした。もちろん優れたロマン派イギリス人画家はいますが、音楽は存在しなかったのです」
オッテン 「それは誰が言いだしたのでしょう?」
ラトル 「我々自身がそう言いだしたのですよ。要するにこれは事実なのです。パーセルとエルガーの間には何もありません。少なくとも傾聴に値するような音楽は存在しませんでした。しかしなぜそうなのかは、私には分かりません。どうして同じ時期には、優れた画家がいたのでしょう?答えられない質問です」
オッテン 「しかしなぜドイツに限って、これほど多くのロマン主義作曲家が生まれたのでしょうか。フランスには、少なくともベルリオーズとショパンがいます」
ラトル 「その質問は答えなし、ということにしませんか?」
レペニース 「その問いについては、すでに答えている人がいますよ。トーマス・マンが第1次世界大戦最後の年に書いた、ユートピアについての論考です。そこで彼は自問しています。“ドイツ人であることなしに、音楽家であることは可能だろうか”と。答えはもちろんノーなのですが、これには続きがあります。というのは当時のトーマス・マンは、“音楽の国”としてのドイツを、“民主主義の国”としての西ヨーロッパ諸国に対置していたからです。思索的で音楽的なドイツ人は、民主主義のような俗っぽい事柄に関心を持つことなどできない、というわけです」
オッテン 「それはどうしようもなく国粋主義的ですね」
ラトル 「当時はまだそのような言い方をすることが、許されていたのですね。(ドイツ人としてドイツ人の優位性を語ってはならない)アドルノ的状況にはなかったわけですから。しかし少なくとも次のことは言えます。我々は民主主義においても、ロマンティックであってよいのです(笑)」
"--録音を再生し、すべての声部が明瞭(トランスパレント)に聞こえるのに驚きました。
「そもそも指揮者は作曲家がスコアに書いた音のすべてを聴衆に対し、クリアに伝える責務を負っています。一部ではロマン派の重厚な響きを追求しがちなブラームスにおいても、トランスパレンシーは保たれなければなりません。第3番は先行する2つの交響曲と比べ、はるかに室内楽的に書かれており、第1楽章のトゥッティ(総奏)からして、いくつもの音の線をくっきりと響かせる必要があります。第2、第3楽章はなおさらです。様々な声部の動きを際立たせず、団子のような響きをよしとする指揮者ははっきり言って無能です」
--日本、米国、ドイツ、フランスなど、国ごとにオーケストラの音色は異なりますか?
「大前提として国籍に関係なく、敏感で志の高いオーケストラならどこでも、私の棒、ジェスチャーについてきます。問題は過去20年ほどの間、特に管楽器の国際標準化が進み、奏法も世界共通となりつつあることです。ベルリン・フィルのホルンは以前、ベルリン在住の楽器制作者がハンマーをたたいて作った手製でしたが、この人の死後は国際メーカーの製品に変わった。1960年代にパリ音楽院管弦楽団、アレクシス・ワイセンベルクとショパンのピアノ協奏曲をEMIへ録音した際はフランス式の管楽器の響きが不適切に思え、ファゴットとホルンの奏者をわざわざ旧ドイツ領のストラスブールから呼び、エキストラで吹いてもらいました。このオーケストラが発展的に解消、パリ管弦楽団として再生したときの音楽監督、シャルル・ミュンシュは管楽器の国際化を進めたため、録音の苦心も昔話になりましたが・・・・・・。それでもたとえばエルガーの交響曲を現代の国際標準のオーケストラで再現する場合、作曲当時の英国に存在した小ぶりのトロンボーンの音量をきちんと意識、金管が弦にかぶさらないように慎重にバランスを整えるのが、心ある指揮者の姿勢でしょう」
"「書かれた音すべてを明瞭に伝えるのが指揮者の使命」~スタニスラフ・スクロヴァチェフスキとの対話
(interview&text:池田卓夫) intoxicate #82(TOWER RECORDS)
ブラームス:交響曲第3番、チャイコフスキー:弦楽セレナード スクロヴァチェフスキ&読売日本交響楽団
ピアノ協奏曲第1番、第2番、ソナタ第2番、第3番、他 ワイセンベルク(ピアノ)スクロヴァチェフスキ&パリ音楽院管(3CD)