そもそも「下世話」の意味は、「品が良くない」「俗なさま」
を表しています。
つまり「洗練」と「下世話」は両極の言葉なのです。
私が言いたかったのは、菅野さんの魅力とはそれほど複雑で
両極に亘るほど幅が広く、しかも深い、それを表すのにあのような
言い回しをしたのです。
幸いその真意も伝わり、評判も良く「言い得て妙」と褒められたり
して、安堵しております。
さて、この「下世話」こそが、大衆芸術に最も大事なものの
一つなのですが、これを全面に出した作品を作ったり
演奏したりする時には、ものすごく恥ずかしいものなのです。
正規の教育を受けてインテリな人ほど、恥ずかし度は増す
ようです。
音楽で言うと、クラシックを主に勉強している方には、
「下世話」に対する拒否反応が大きいですね。
しかし、世間に残っているクラシックの名曲なんかに
「下世話」なメロを持っている曲が多いのです。
チャイコフスキーなんか「下世話」の塊だし、モーツァルトや
ベートーベンも人気の高い曲は、その傾向が少なからずあります。
しかし、それらの曲にはその「下世話メロ」を支える、洗練された
技術があるのです。
これを伴わないと、その名曲はただの凡曲になります。
つまり「洗練」と「下世話」は両極の言葉ではありますが、
大事な両輪でもあるのです。
だから、「洗練された下世話」は矛盾した言葉ではなく、
すべての大衆芸術が目指す高い頂なのです。